2009年12月
2009年12月27日
「online 超ミニライブ」 コーナーで 聴いてね!!
#27やまびこコンサートでの「藤井武志さん追悼コーナー」の録音を公開しましたので、よかったら聞いてください。
ただし、舞台袖での簡易録音ですので、音質は全く良くありません。
あのときの盛り上がりや感動を感じていただければと思っての公開です。
音質や画像については、来月 徳島のケーブルテレビで放映される方を期待したいと思っています。
例えば5番目は、生録そのままだと以下のようになっていました。
波形が大きいところは「はばたけ大空へ」の曲の部分で、両脇がナレーションの部分です。
ナレがかなり低いレベルで録音されていましたので、増幅+イコライザ等をかけて少し聴きやすいように加工しましたが録音の場所が悪かったので限界です。
(曲の部分もボーカルが少しでも前に出るように努力はしてみました。)
下記のサイトで 「online 超ミニライブ」に入って聴くか
http://www9.plala.or.jp/jujucall/
直接「online 超ミニライブ」にも行けます。
http://www9.plala.or.jp/jujucall/page005.html
WindowsのOS付属のプレイヤーでストリーミングで聞くことができます。
または、ファイル(MP3)を自分のPCにダウンロードしたあとに、聴く事も可能です。
快く公開を許可していただいたMYOのH本さんに感謝いたします。
2009年12月26日
徳島コンサートツァー 2/2
前回に引き続き2回目を書きます。>>>
12/21(月)
午前中はホテルを遅めに出て、近くの「阿波踊り会館」へ向かいました。眉山ロープウェイにも乗ってみようと思ったんですが、H本さんとの時間が残り少なくなったのと、寒いのとでロープウェイはあきらめました。でも、さすがの阿波踊り本場ですね。こんな冬でも阿波踊りが満喫できるんですね。なんと言っても女性のあの踊りは色っぽいですよね。
さてさて12:30にH本さんと遭遇し、一路「徳島のラーメン店」(=店名は「巽屋(たつみや)」のれんには「支那そば」中華そば)へ・・
H本さんお勧めの一番候補の某店は残念ながら店休日であっさりと振られましたが、ナンバー2のお店のラーメンはなかなかでした。
名古屋の八丁味噌のような色のスープは、とんこつ+醤油 なのかな? こってりしてるようで。アッサリ系のスープに、濃い黄色の麺=太くもなく細くもなく・・そして、すき焼きの肉ような薄切りの肉(いわゆる九州のチャーシューとは違うもの)がたっぷりと乗っているんですね。これが又ごはんともよく合うし、おいしかったぁ・・・
(H本さんによると、あの肉の上に、すき焼きのように生卵を乗せて食べるのも普通にアリだとか?)
で、そのあと「みるく・かっぷ」のお二人と遭遇して、一路藤井さんのご実家へ。。(30分以上走ったと思います)
ご実家では、ご両親と少しお話をしたあと、仏壇に線香を上げさせてもらいました。壁には藤井さんの表彰状が何枚も所狭しと飾ってありました。ちなみに僕は表彰状にはほとんど縁の無い人間でして、うらやましい限りでした。
その後、お墓に案内してもらいましたが、それほど距離のないところで、昔の陸軍の墓地としてスタートしたところだそうです。その墓地の中ほどに藤井家の墓地がありました。こちらの風習だと思いますが、線香をたいた中で一すくいの米粒を石塔に捧げて両手を合わせるのです。
そんな中、「みるく・かっぷ」のお二人が藤井さんの墓の前で、アカペラであの由味子さん作詞の「ダーリン」を歌い始めたのです。すでに帰る姿勢になっていた僕の耳にはすぐには届かなかったのですが、風が運んでくる声はまさしくあの二人のハモってる歌だったんです。いやぁ。。ぼくは耳を、目を、身体全体を、いやH本さんを疑いました。こんなお参りの仕方もあるんだって・・・まさに感動ものでした。(写真や詳細はH本さんのブログをご覧ください)
http://ameblo.jp/091220-fujiikun-tuitou/
その後は、涙をふきつつ、すけさんからの贈り物(=おいしそうな豆腐)を大事に抱えて、帰路につきました。また、今回送迎していただいたH本さんには、徳島市と住んでいる所を二往復させたようなもので、大変申し訳なかったです。(ご自宅のかわいい屋根が車窓から少し見えました)
12/22(火)
何も考えていなかったんですが、少し早く目が覚めたのでホテル備え付けのPCでネットを見ていて、鳴門まで行ってみようと言う気になりました。
ネットには、路線バスは混むと書いてありましたが、今日は平日で寒いし大丈夫だろうと思いつつ、徳島駅前のバス停に行くとガラガラでした。吉野川を渡って鳴門まで1時間程度でしたが、天気もよくて、橋はきれいで、大きくて、潮の流れもダイナミック。「渦の道」という大橋の道路の下に作られた海峡の渦を鑑賞するための歩道に入り、ゆっくりと鳴門海峡を堪能してきました。
そこで唯一会話した人は、徳島県のアンケート収集員だとおっしゃるきれいな女性だけでした。(何か?)
で、また徳島駅まで引き返し、今度はなみちゃんと待ち合わせです。ホテルに預けていた荷物を受け取り、待ち合わせの場所へ行ったところ、すでに車で到着して待っていてくれました。そして、お母さんとご一緒に、フェリー乗り場まで送っていただきました。
車中では、また話が弾みましたが、な・なんと僕のためになみちゃんのお弁当が用意されていたのです。これにはMitchan大感激で、見栄張って「夕食にいただきます」と言ったのに、待ちきれずに、ほんとはフェリーに乗り込んですぐ食べてしまったという実態でした。
おまけにラブレター付きですよ。最高です。で、で、ご主人、これだけは事後承諾でお許しを!!
四国沖の太平洋の風は、目にしみるなぁ・・・
12/23(水)
新門司港には午前5:40着岸、その後JR等を経由して、家には 7:15頃到着しました。
今回の感動と衝撃の3日間は、きっといつまでも忘れることのない記憶として残ることでしょう。
特に、企画段階からいろいろとお世話をいただいたH本さんに心から感謝いたします。
それから、MYOのメンバーをはじめとして、みなさん、ほんとにありがとうございました。
また、きっといつかどこかでお会いしましょう。
2009年12月25日
徳島コンサートツァー 1/2
12/20 #27やまびこコンサート「藤井武井さんの追悼コーナー」をメインにした僕の徳島コンサートツァー道中記を2回に分けて書きます。
いろいろと用事を済ませ、16:30頃、自宅を出発。
JR門司駅から東九フェリー御用達の乗り合いタクシーで新門司港へ。
しかし、寒いです。19:00に出港・・外は真っ暗なので出港していることだけがわかる程度。
さっそくコンビニで買ってきた弁当で夕食。もちろん、ビール付きです。
このフェリーはカジュアルフェリーと言って、船室は全て2等寝台。
ベッドの幅はまあまあだけど高さが低く、ベッド内に座って何かをするということはできない。
なんとか寝てはみるけど、船のエンジンの振動(震度3)が伝わってきて、なかなか寝付けない。
ブルブル・・・・ブルッブルッ・・という縦ゆれの感じ。でも、なんとか睡眠はとれたかも・・・
12/20(日)
午前9時頃、H本さんから、太平洋上の僕に電話がある。
予告どおり港まで迎えに来てくれてるようだけど、僕が着いたらすぐにリハだということで、拉致状態で会場へ直行となる。
あわぎんホールは800席ほどのホールで、コンパクトなホールながら、音響等はいいみたい。
ホールに入ると責任者のHndさんなどを紹介されたし、今回誰かの老齢のためお借りすることになっているギターとそのオーナーのメダカさんとも面会。(吉本のメダカさんに似ているから?)
ギターは確かに痛んでいるが、音は大丈夫だった。そしてMYOのメンバーと初顔合わせ。。。
ギターのヒロくんやボーカルのミルクカップのおふたり、ドラムスの敬子さんにベースの輝さん、そして今回のスキャナー担当の千恵さん、そしてナレ担当の「その」さん みーーんな初対面。
いやぁ人見知りの僕は恥ずかしかったです。
で、早速リハ。1回目のリハは、少し緊張したけど、音を出してみるとなんとかやれそうな気分になった。
次は楽屋でゲージの張替え、そして進行リハで再度演奏。うーーん、これはいい。イケル!!
しかし、やっぱり「はばたけ大空へ」は僕のマイクにつながるLINEのコンソールボリュームレバーは 限りなく下位になっているはずだ。(笑;)
お昼をとり、いよいよ本番の時間に突入・・そのあと 徳島新聞のN記者がわざわざ掲載された新聞を届けに来てくれました。ほんとにありがとうございます。
<このブログに掲載した以下の2枚の写真はN記者さん提供のものです。感謝!!>
そして、藤井さんのご両親も楽屋にこられて、初の面会。どちらも品のある方だし、やさしそうなまなざし、「このご両親がいらっしゃって、藤井さんが頑張れたんだ」と・・いやぁ感激しました。
この間、楽屋でヒロくんと話をしていたら、去年のコンサートの話になり、藤井さんが作詞した「私には夢がある」のCDを聞かせてくれました。新聞にも紹介されていたことだけど、この曲のことは僕には全く知らされていなかったので、すごくうれしいお話でした。藤井さんは、僕にも「紅白をめざそう」とは話してくれていましたが、その夢を本気で託してくれていたんだと改めて感じて、すごく胸が痛みました。でも、だからこそ更に彼のためにも頑張らなくっちゃと気持ちを新たにしたところです。(そろそろ引っ込もうと思い始めていたので・・)
本番は、H本さんのピアノと輝さんのベースをバックにミルクカップの「はつこい」が流れる中、そのさんのナレがかぶさっていくところからスタートしました。一気に書き上げたというH本さんの原稿もすごかったけど、そのさんのナレで原稿に魂を吹き込んでいたという感じでした。
(最初の書き込みでは誤って、ベースが敬子さんになっていました。大変失礼しました。深くおわびいたします。)
次はそれなりにこのステージのためにアレンジした僕の「欧花里菜」。自分で言うもの変だけど、一番気分が乗って歌えたと思います。
そのあとは僕はしばし引っ込んでいる間、ヒロくんの作曲した「ダーリン」と「独り」をMYOがバッチシ決めてくれました。
作詞者の一人である由味子さんは、きっと僕と藤井さんのコラボ曲の「ゆみちゃん」(=今回のCDに収録済みです)ご本人に違いないと直感しました。今回、いろんな方に由味子さんと藤井さんとのことをお聞きし、特にたまらなくなりましたし、目頭が熱くなりました。次のライブではこの曲、ちゃんと歌えるかなぁ?
最後のシメは「はばたけ大空へ」です。僕はリハのときに、演奏だけをしていたんですが、Hndさんにも要請されて声を出すようにしました。センタポジションの人が歌わないと、やっぱりどこか締まらないですよね。それで口パクに近いミキシングをお願いしながらも、歌いました。というより、本番では自然にギターをカッティングしながら、ボーカルをとってるような気分で歌いました。ミルクカップのボーカルとはマッチしない声が一部聞こえたと思いますが、ご容赦を・・・
ということで、エンディングのそのさんのナレもバッチシ決まり、コーナー終了です。
(舞台袖での雰囲気だけを感じる録音ですが 僕のサイトの「OnLine超ミニライブ」で公開する予定です)
演奏後は少し抜け殻のようなMYOでしたが、夕方には僕の宿泊ホテルの1階のお店(これもすごい気遣いです)で、打ち上げをして、余韻に浸りました。
この打ち上げにはメンバーのほかに、藤井さんの後継者にならなければとおっしゃる某さんやバスの運転手をなさっている某さんも参加してくれました。これまでの思いやこれからの夢など、いろいろと語りつくしましたね。
僕にとってはメンバーの方々とやっとゆっくり話ができた場所でした。そして、お互いのことが少しづつわかり始めました。
つづく ~
2009年12月23日
#27やまびこコンサートと藤井さんの追悼コーナー
去る12/20、徳島市のあわぎんホールで開催された#27やまびこコンサートでの藤井さんの追悼コーナーへ出演するために19日から徳島に行って来ました。
今日は、その関連の徳島新聞の記事を紹介しておきます。
(記事については、社会部のN記者に大変お世話になりました。)
①最初は11/30で、追悼コーナーを企画したMYOのメンバーの紹介でした。
②次は僕と藤井さんとの交流のエピソードと生前約束していたコラボCDの完成と紹介でした。
③そして、3つ目は、コンサート当日の模様を紹介してくれています。
私の個人的な徳島ツァー顛末記は、後日ゆっくりと画像付きで紹介しますので、お楽しみに・・・
また、現地では来月に、CATVで2時間にわたってコンサートの模様が放送されるそうです。これも楽しみです。
2009年12月21日
感動をありがとう
まだ徳島にいます。
昨日の感動がまだこころの中に踊っています。
画像を含めて後日詳細にこのブログで報告しますが、今日はとりあえず感動の報告です。
これまで徳島新聞では計3回もとりあげてもらいました。
1回目はMYOの追悼コーナーの記事、そして次は僕と藤井さんのコラボCDと追悼コーナーでの発表の記事、そして今朝はまたデカデカと昨日のMYOとMitchanの演奏の写真つきで紹介されました。
記者のNさんに感謝です。昨日は僕のように県外のもののために楽屋までわざわざ新聞をもってきてくれましたね。ありがとうございました。
そして、何よりも今回の追悼コーナーの演出はH本さんのブログが大きな役割を果たしてくれたと思っています。仕事も家族も犠牲にして?頑張ってくれたH本さんおつかれさまでした。
そして、MYOのメンバーそして、その支援者も同様です。大阪から数時間かけて何回も練習に参加したヒロくんもすごいです。女性ドラマー、女性ベーシスト、そしてミルクカップF?のお二人さんもほんとにお疲れ様でした。
僕の方はフェリーで徳島港に着くなりH本さんの車で拉致されすぐに会場でのリハに入るという強行スケジュールでしたが、おかげでしっかりリハができて本番ではバッチリでした。心配していた返しもよく、ボーカルもスーッと通っていると感じましたので、気持ちよく歌うことができました。PAミキサーの方に感謝します。大切なギターを貸してくれたメダカさんにもお礼を申し上げます。
今日は藤井さんのお墓まいりに行く予定です。