2009年03月
2009年03月28日
年金の減額・中止を 高年齢者雇用給付金との調整も中止を
今日は、どうしても言いたいことがあって、書いています。
1.は在職老齢年金のことです。
働く意欲があって、あるいは働かないと食べていけない事情があって、定年後も働く人は多くなっています。定年後もサラリーマンが年金を払いながら、かつ収入比例分の年金をもらえる60歳前半は、収入があるとその収入に応じて年金が減額される仕組みになっています。(働かなくても、働いても、満額の年金は65歳からしかもらえない)1000万円プレーヤーとかであれば、やむを得ないと思いますが、月収13万円程度の収入でも、その前の年に平均的なボーナスをもらっている人は、調整という名の減額となります。(たしか20数万円が境だったと思う)
これはあまりにもひどい話です。一部の年金をもらっても、夫婦が最低限暮らすのに必要といわれている月収27万円(これとて、健康で文化的な暮らしといえるのかどうか?)=年収320万円にも届かないのに、勤労意欲も何もあったものではありません。会社もどうせ減額されるなら、給料はずんだって、結局減額されるからということで、あまり増額することには乗り気ではありません。
お願いだから、こんな仕組みは早く是正してください。少なくとも年金も含めて、年収400万円までは減額しないでくださいよ。
2.番目は、同じ政府の政策なのにてんで矛盾している措置のこと。
60歳を超えて働く人がそれまでの賃金に比べて61%以上だったかな?・・ま。それくらいまで下がると、最高で新たな賃金の15%が高年齢者給付金として毎月支払われるようになっています。
しかし、これまでもが前の調整とは別枠で老齢厚生年金から減額されるんです。確かに雇用保険は支払いを渋ってきたため積立金がたくさんあって余裕だけど、年金は火の車でしょう。
しかし、何かおかしくないですか? せっかく雇用保険が「定年後も頑張って働いてくれてありがとう」といってるのに、厚生年金は「働いて少しでもお金が出たら、年金減らしますからね。うちは火の車なんだからね。働いてもそんなに手取りは増えないんだから、適当に働いてたらいいのに。」と冷たい仕打ちと働く意欲を削いでいるわけです。{/怒った/}
※ 最近、雇用や経済の復興という名目で何やらばらまきみたいな予算が通ったようだけど、どうも対策の焦点がかなりずれていると思う。こういうことへの対応こそ早く手を打つべきではないでしょうか?
20歳代~30歳台 そして団塊の世代の60歳台の雇用、働く意欲、希望。。。一番のウィークポイントであるこの世代のことをどうすればいいのか、そういう視点が見えてこないんだよなぁ・・・麻生さん!!
2009年03月22日
イタリア 見聞録 その五 (やや長文)
昨日までの激しい雨は、ピタリとやんで、いい天気です。ウロウロするからには、天気が良くないとね。
そういえば、イタリアのホテルのエレベータには、0階があります。日本で言う1階が0階になります。ちな みに、地下1階は -1階となっていました。0の概念がなかった日本との違いですね。日本では、昔は生ま れたらすぐに1歳になっていましたからね。(今は0歳というけど・・)
と、話が少しずれましたが、最初はバチカン美術館へ。しかし、はやくも入り口には長い行列が見えます。団 体予約の効果なのか待たずに入れましたが、ここも手荷物検査がありセキュリティが厳しいです。
ここは、なんといってもミケランジェロの天井画があるシスティーナ礼拝堂でしょう・・・ 全世界からこの礼拝堂の「最後の審判」を観にきていました。もともとは彫刻家であったミケランジェロが何 年もかけて書いたということで、彫刻的な絵という感じがします。しかし、この絵には女性が極端に少ないの で(一人か二人くらいかな?)、地獄に落ちるのは男が多いのだろうかと、ガイドさんに聞いてみましたが、 「そんな質問初めて・・?」という感じでした。
そこから、以前は法王が通っていたという通路を抜けて、サンピエトロ大聖堂へ・・(個人ツァーではこのよ うなルートで直接入ることは出来ないとガイドさんが言ってましたが、ホントだろうか? 確かに大聖堂にも 長い行列が見えました。)この聖堂の中には、足をさわると願いがかなうと言う像があるというので、あほな 私は、それを触りにいきました。(*^。^*)
ここを出ると、日曜日の法王のミサが行われている広大なサンピエトロ広場へ出ます。狭いローマの道を考え ると、ほんとに広いです。(そういえばイタリアでは、街中の道路は両脇とも斜めか縦列駐車の駐車場になっ ています。)
ここバチカン市国を抜けて、次はいよいよコロッセオに行きましたが、途中の道路を横切るために歩行者信号 は、なんと小走りに走らないと横断できないほどの短時間の「青」でした。歩道では、小学校の運動会のよう に横に並んで待っていて、青になったら一斉に走っての横断でした。普通に歩いて横断していたら道路の真ん 中で立ち往生になります。ほんとに・・・
コロッセオ自体の説明は省略しますが、大きいです。そして、あの残酷な歴史を感じます。(ちなみに全天候 型ドームだったそうです)
中に入りたかったんですが、これ又並んで待たないと入れませんので、あきらめました。上部がなくなってい ますが、あれは壊れたのではなく、サンピエトロなどの寺院を建てるため、不要になっていたコロッセオの石 を取り崩して使ったためだそうです。
ここでは二人組みのアラブ系の人が、日本人観光客を狙っているとも聞きました。親しそうに近づいてきて、 握手を求め、握手をすると、もう一人が紐のようなものを手首に巻きつけて脅すそうです。それで怖くなった 日本人がお金を出すので、日本人だけが狙われると聞きました。はっきりと「No」と言って欲しいとガイドさ んが忠告していました。
そのあとは、「トレヴィの泉」。ここでは、みなさんと同じように、ツァーの他のおじさんと一緒に後ろを向 いて、「1・2・3 OK」と言って、コインを投げ込んだら、そばで見ていた外人の(ん?ここでは私も外 人だ?)女の子達に笑われてしまいました。
それから、ここのそばのBAR(バール)には、なんと寿司がおいてあったんですよ。海苔巻き3切れで5ユ ーロでした。握り寿司もありましたよ。ご飯が恋しかったんですが、さすがに誰も買いませんでした。 しばらく集合時間を待っていたとき、近くの店からバッグ3~4個を強奪して逃げる人にも遭遇しました。こ んなことは、まさに、日常茶飯事なんでしょうね。
ここからは歩いて、最終目的地のスペイン広場へ向かいました。
ここも人が多くて、ちっとも落ち着いた気分にはなれませんでしたが、ヘプバーンのシーンを思い出しながら 、階段を楽しみました。(スペイン大使館が近くにあるので、そのような名前になったそうです) この階段を上りあがると、車が通る道路があって、その上に下から見える教会があります。
この広場のトイレは、無料なんですが、ここでも日本人だけが、「チップが必要」とだまされてチップを払わ されることがあるそうです。
ということで、しばらく時間があったので、どこかに行こうと思ったものの、もう歩く元気はないので、どこ かでゆっくりしようと思い、同行の一部の方と中華料理の店を探して、食べようということになりました。 店の名前は、確か「香口」だったと思いますが、歩いて5分くらいの距離でした。チャーハンとかラーメンと か食べましたが、さすがに味は日本とは少し違いました。でも、ご飯と箸が恋しかった私たちにはホッとした 瞬間でした。
あとはローマ空港からソウル経由福岡へ。(ローマの空港には、移動用の鉄道があるんですね。無人運転だろ うか?)
タックスフリー(免税)手続きは、少し面倒だし、サポートしてくれる人がいない個人旅行では、大変でしょ うね。両替は出国手続きをして、出発ロビーに入ったら、そこに両替所がありました。英語で話さないといけ ないので、まさにカタコトのやり取りでしたが、なんとか余ったコインも含めて両替してくれました。(コイ ンは所定の単位に届かない分は、そのまま返してくれます。)
帰りは夜の出発で眠りやすく、時間も福岡まで全部で14時間程度でしたので楽でした。
ほんとに貴重な体験で、写真は沢山とり、全部で339枚でしたが、デジカメのSDメモリーが書き込みエラ ーになるなど不調でした。安いのを買ったせいかもしれませんが、予備のメモリーを持参することをお勧めし ます。(カメラの充電アダプタは必須ですね)
<イタリア見聞録終わり>
2009年03月21日
イタリア 見聞録 その四
最初に行ったのが高台にあるミケランジェロ広場で、ここからはフィレンツェの街が一望できました。雨ですっきりは見えなかったものの、雰囲気はバッチシでした。
そのあと昼食をとって、ウフィツィ(Ufizi)美術館へ。
ここもセキュリティが厳しく、水は持ち込めないし、写真撮影もご法度。悪者のために善人が迷惑をこうむる世の中。まさに「悪貨は良貨を駆逐する」ですね。
「受胎告知」とか「ヴィーナスの誕生」など有名な宗教画がたくさん展示されていましたが、絵心はあまりないので、僕には「猫に小判」?
ドゥオモという有名な教会の建物の中は、すごく広くてびっくり。でも、そろそろかなり石畳が影響してか、腰が痛くなってきました。
そのあと、毛皮などの加工技術が進んでいるというこの町の店に立ち寄り、リンゴの形をした小銭要れを土産にゲットしました。
外国人には、約155ユーロを超えると、消費税見合いの税金が還元される仕組みになっていますので、それも活用しなくっちゃ!! (何%なんだろう・・15%かな?)
買い物の後は、雨で増水したアルノ川を横目に、フィレンツェを後にしました。今夜は食事がついていないので、途中のSAによって食料をゲットするつもりです。
さて、そのSAでファストフードを買おうとしたら、まずはバール(BAR)と同じで、みやげ物のレジで品名を指定して、お金を払って、レシートを受け取ります。そのレシートをもってファストフードのコーナーに行って、現物をもらうのですが、お客さんが多くて僕の欲しかったものは既に売り切れになっていました。
そのことを店員さんが言っていたようですが、僕には全く理解できないし、頭にきていた僕の頭脳は回転しなくなり、とっさのカタコト英語も出てこないし、相手も「このジャポネーゼにはイタリア語は無理だわい・・・」とあきらめ顔でしたが、30秒くらいしてから、なんとかそういうことだろうと想定し、代わりのモノを指差し、それをもらって帰ったという次第です。(かなりいろいろと日本語で何やら文句を言っていた自分を振り返ると恥ずかしくなってきましたが・・・)
ホテルについたら、もっと欲が出たので近くのスーパーを教えてもらい。買い物に行きました。中は肉類はあるものの魚類は全くなく、魚派の僕にはガッカリでした。それでも安い缶ビッツァ(ビール)と簡単なつまみ(?)らしいものを買って帰りました。
このときレジ付近をうろうろしていた僕(別にレジに並んでいた訳ではない)に、現地の方が「先に支払っていいですか?」(多分そう言っていたんだろう・・)と声をかけてからレジに行ったのが印象的でした。日本ならだまって我先に並ぶのになぁと。。もちろん、現地語だったのか英語だったのか、なんとなく、そういう意味の言葉だったと思う。
今日も歩き歩きで疲れたなぁ・・
2009年03月20日
イタリア 見聞録 その三
心配した天気は、曇りという感じで、波も普通かな・・でも、天気に左右され心配していた洞窟の見学がokとわかり、バスの中で拍手が。。。一般に、この時期は見学できないことが多いらしい。
昔の要塞跡がたくさん残っているナポリの港から、ジェットホイルで約50分の船旅。結構ゆれるので、船酔いしやすい人はじっとしているのが一番かな?
カプリ島は小さな島だけど、高い絶壁もあって岩盤は固いのかも?
また、洞窟近くに近づくため小型の船に乗り換えて現地まで、10分程度かかりました。
洞窟のそばに着き、ほんとに小さなボートに乗り移るんですが、波で揺れるボートにスッと乗り移れるわけもなく、みんな一苦労して、それでも、やっとの思いで一艘に6人乗り移り、船頭さんの指示で洞窟入り口へ。
団体さんばかりなので、ボートも六艘くらいはいたんですが、それに順番に乗って見学という内容です。
入り口は、ほんとに狭くて、そのボートの幅くらいしかない洞窟の入り口。高さも低く、頭を打たないように、ボートに座ったまま更に深く前屈みになって、入り口を通過。
しかし、中はすごい、ほんとに濃い青の海が目の前に広がるのです。
中にいたのは1分程度だったけど、すごい色で感激でした。
僕の場合、波でボートのロープが濡れていて、それに当たって自分のセーターの袖が濡れてしまいましたが、場合によってはほんとに波で濡れますよ。真剣に水着きていた方が安心だと思いました。
ここでカメラのトラブル・・・バッテリーは大丈夫と思っていたら、ここでダウン。。。あぁ夕べ充電しておけばよかった・・・
(注:イタリアの電気の差込口の形状はC型で、そのアダプタを200円程度で買っていました。電圧は240VまでOKのアダプタだったのでイタリアでも使えました。)
どうしよう?・・・と思ったときに携帯で撮ることを思いつきました。画像がよくないけど、仕方ないか・・・
最高の画質にして、ついでに動画を入れたりして、なんとかいけそう・・・
さて、また中型船に乗り換えてカプリ島の港へ戻り、日本のように時刻どおりには来ないジェットホイルに乗り換えてナポリの港へ。
ナポリからポンペイ遺跡へ向かう途中は、左側にベスビオ火山を見ながら移動し、遺跡の近くでシーフードの昼食をしました。
ポンペイの遺跡は、約2000年前の都市とはいえ、ずこい文化の都市だったようです。石畳の道路には当時の馬車の車輪で磨り減った溝が残っていたり、ピザやパンを焼いて売っていた店の跡があったり、市場の跡も・・・
又そこには、ベスビオ火山の噴火によって生き埋めになった人の遺体(本物)が石膏のようなもので固められて、展示されていましたが、そのときの悲鳴が聞こえてきそうな感じがしました。
一番行ってみたかったポンペイの遺跡をあとにして、今夜の宿=ローマのホテルへ向かいました。
2009年03月15日
イタリア 見聞録 その二
2日目は、ローマ郊外のホテルを出発し、カゼルタ経由南部のアルベロベッロという町への行程になります。
疲れた身体に鞭打って、雨のローマを出発。高速道路でカゼルタへ。高速道路は、日本のように高架中心ではなく、むしろ一般道路を高架にして立体交差しているという感じがしましたが、朝の渋滞はどこも同じかな・・
途中の高速のSAは、日本のような雰囲気はなく、給油所とコンビニがポツンとあるという感じです。
また、イタリアでは、公衆トイレは少なく、あっても50¢(1ユーロの半分なので60円くらい)程度のチップが必要です。チップといっても、実質的には強制で、2ユーロコインを出すとおつりをくれました。
カゼルタの王宮は、当時の防衛上、敵の攻撃を受けやすい港町ナポリを避けて、少し港から離れたところに立てられたらしいのですが、すごい大きな宮殿でした。
その宮殿の後ろには、これまた大きな庭園があり、庭園の端の水が流れているところまでは片道3Kmもあるというので、電気バスに乗り換えて往復しました。
それから、この国では添乗員さんが、観光施設等のガイドをすることは禁じられているそうで、必ず現地の資格をもったガイドさんが付きます。今回のガイドさんは、かなりなまりのある日本語でしたが、ハートがあってなかなかでした。
そのあとパスタのお昼でしたが、どうもこんな食事は僕には合わないなぁ。前菜はパスタで、メインはチキンでしたが、チキンは脂分が少なくて、パサパサという感じ。水も有料で、かといって昼間からビールというわけにもいかない。レストランのトイレといえども、便器は壊れかけていたりとか・・・2日目にして日本が恋しくなったり?
ちなみに、デザートはアイスでした。イタリアでは、前菜(パスタも前菜)-メイン-デザートというのが、普通のパターンのようです。(超高級リストランテでは違うかも?)
そのあと3時間以上も高速を走って、△屋根のアルベロベッロへ直行です。
私たちが泊ったイタリアのホテルのトイレには、ウォッシュレットはなく、メインの便器のそばにビデ用の便器がありました。もちろんお湯は出ますから、手動のウォッシュレットという感じですね。
浴槽の中には赤い紐があり、これは緊急時の呼び出し用の紐だそうです。タオルもバスタオル以外は、サラシのような生地なので、使いづらかったです。
夕食のときにはビールを頼みましたが、お世辞にもイタリアのビールはおいしいとはいえません。それ以外は、ハイネケンしかなかったので、仕方なくそれで我慢しました。(レストランでは、実際は瓶です)
ワインはおしいかったんだと思いますが、あまり飲まないので、よくわかりません。